宝物が増えた。
1983年にマンチェスターで結成されて80年代後半から90年代初頭に起こった
マッドチェスター・ムーヴメントの引き金となり、90年代中後期に起きた
ブリットポップ・ムーヴメントの先駆けともなったバンド、ストーン・ローゼズのLP。
全て88年、89年にプレスされたオリジナル盤を手に入れた。
ファーストアルバムのアートワークは、アメリカ人画家ジャクソン・ポロックの影響を受けたギタリストのジョン・スクワイアによって、フランスの五月革命をテーマに描かれて”Bye Bye Badman”というタイトルが付された。
五月革命中に反体制派のフランス人学生達が機動隊の使うCSガスの効果を和らげる目的で目の下にレモン汁を塗っていた、というイアン・ブラウンが聞きつけた話を元に絵の上には輪切りのレモンが置かれた。
バンドは後に絵と同名の曲を発表(
click)、レモンはそれ以降バンドのトレードマークとなった。
個人的にはかなり気に入っている曲だが、この曲はファーストアルバムに入っているのみでライヴで披露されたことはなかった。
音作りにおいて重要な役割を果たしていたドラマーのレニが1995年に脱退することによってバンドは事実上崩壊へと向かう。
ローゼズ独特のグルーヴを作り出していたレニの脱退はバンドに方向転換を強いた。
翌年4月にギタリストのジョン・スクワイアが脱退。
方向性を見失ったバンドは96年8月のレディングフェスで最悪のパフォーマンスを披露しメディアやファンに酷評される。
フェスの直後にマニが脱退。
同年10月についにフロントマンのイアン・ブラウンが解散を発表。
解散後、ボーカリストのイアン・ブラウンはソロ活動を始め、今も現役で歌っている。
その致命的に不安定な声は当時のままだが、作る音楽はローゼズとかけ離れている。
ギタリストのジョン・スクワイアはThe Seahorsesというバンドを組んだり、自らマイクをとりソロ活動をしたりしていたが、一部ファンからは「歌の歌えないシンガーソングライター」と評され、現在は音楽活動を一切止めてアート作品の制作に注力している。
ドラマーのレニはThe Rubというバンドを一時期組んでいたが、商業ベースに乗せるつもりはなかったらしく、現在では基本的に表舞台から姿を消している。
ベーシストのマニはベースを担いだままボビー・ギレスピー率いるPrimal Screamに加入、元メンバーの中で唯一マッドチェスターの残党として現役で活躍している。
(via http://www.slicingupeyeballs.com/)
"I HAVE NO DESIRE WHATSOEVER TO DESECRATE THE GRAVE OF
SEMINAL MANCHESTER POP GROUP THE STONE ROSES 18.3.09"
現在でも再結成を望む声が聞かれるが、そのことにうんざりしたジョンは、鉄屑に「墓を荒らすつもりはない」と書き殴りそれをそのまま作品として発表、ローゼズが死んだことを強調した。
(via http://www.last.fm)
2011年3月にはマニの母親が逝去し、その葬儀の場でイアンとジョンが解散後15年ぶりに顔を合わせたことから、タブロイド紙が一方的に再結成の可能性について書き立てたが、BBCとのインタビューでマニは "...Please fuck off and leave it alone. It isn't true and isn't happening." と再結成の噂を否定した上でプライベートなイベントにまで押し掛けたメディアたちにFu*k offするよう丁寧に要求した。
初めてローゼズの曲を聴いたときは、正直言ってなんて退屈な音楽なんだろうと思ったけれど、1年半くらい何となく聴いてリズム隊の魅力に気付いたらいつの間にか気に入っていた。
個人的に再結成はそれほど望まないけれど、このバンドが作った曲はこの先も聴き続けると思う。
せっかく手に入れたアナログ盤を聴くためにも、この夏は実家にある父親のレコードプレーヤーの復活に全力を注ぎたいと思います。
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