ベネチア・サンタルチア駅の前。本来大通りが走るべき場所にあるのは大運河。続きは右下から。
始めて乗るイタリアの電車。ドアの開閉は手動操作だ。でかいレバーの使い方がわからなかった。
フランシスコの家はベネチアから電車で約1時間。トレヴィソという街のコネリアーノまで行きます。
駅にはフランシスコのお母さんが迎えに来ていただいた。とっても親切で話好きな人で助かった。
トウモロコシ畑を車で走ること30分、ついにフランシスコの住むサン・マルティーノ村に到着。
オラえれぇところさ来ちまっただー。
家の周辺はワイン用の葡萄畑が延々と広がっている。ちなみにフランシスコはこの夏、葡萄の収穫のバイトをしてました。ワインが飲み放題なんだとか。
フランシスコ曰く、僕はおそらく今この村で唯一のアジア人だそう。道理ですれ違うたびに振り返えられたり、声かけられたりするわけだ。
ベネチアはちょうど遠くに見える山と山の間あたりに位置しているとのこと。
翌日、フランシスコのお父さんの仕事が休みだということでいろいろ連れて行っていただいた。
この教会もベネチア様式の建築で、ステンドグラスもベネチア特産の
ムラーノ・グラスをあしらってある。
サン・マルティーノ村から更に北上すること30分、この山を越えるともうオーストリアだそう。
フランシスコのお父さんが、あの山の一部がこぶしを握った時の指の形に見えると教えてくれたけれど、
今いちしっくりこなかったです。
ズメッレ城。
続いて来たのが、ポッサーニョと呼ばれる地区。
この神殿にイタリアを代表する新古典主義の彫刻家アントニオ・カノヴァの亡骸が眠る。
中央に見える石棺がそれ。
この後近くにあるカノヴァの美術館へ連れて行っていただいた。今まで見たどの彫刻よりも躍動感あってすぐに気に入りました。
旅と関係ないシリーズ。
神殿の正面柱を内側から撮ってひっくり返すと、ジブリ作品に出てくる空飛ぶ城みたいになる。
まさか北イタリアのド田舎へきてキリンビールの広告を見るとは思わなかった。
デザインの勉強をしているフランシスコのお姉さんが、デザイン性の高い日本の広告を集めた作品集をもっていたのだ。
翌日、フランシスコが今日は山へ遊びに連れてってやるというので二つ返事でついて行った。
山育ちのフランシスコの言う「山で遊ぶ」の意味を僕は履き違えていた。
いきなり1000mの山にアタックをかけるハメに。しかもほとんど道らしい道がない。
さらに僕はそんな立派なトレッキングシューズをもっていない。
しかしながら予想よりは余裕を持って頂上へ。
頂上でお母さん特製のパニー二を食べていたら、次第にガスが発生。あわ。
あわわ…
振り返ったらなんだか幻想的なことになってた。
ガスがおさまってから下山し、一休み。
そして次に連れてきてもらったのがここだ。川。
でもただの川ではなくて、底から湧き出てきた水が川を成している。
「来年はクロアチアへ行こうかと思う。」「俺も行く。」「まじかよ。」
フランシスコのお父さんは趣味で仲間とサン・マルティーノ村の地理と歴史を扱う博物館を設立。
これらは第一次世界大戦時にドイツ軍が投下した爆弾だそう。
爆薬や信管は抜いてあると言っていたけれど、爆弾の出所は不明だ。
こちらは第一次世界大戦中に活躍していたジープ。僕が来る前の週までは現役で走っていたそう。
どうしてこれだけのコレクションを集められたのだろう。
英語のつたないお父さんは「友達が…」としか言わない。
このほかにも博物館には、お父さんの発掘した腕輪などが展示してあった。
山の斜面、葡萄畑のなかにぽっかりと建つ教会。ドイツ軍の爆撃で一部を破壊されながらも耐えたそう。
内部の壁にはフレスコ画がたくさん描いてあった。
説明してくれたけれど僕のキリスト教の知識が足らず、あまり理解できませんでした。
これがサン・マルティーノ村のほぼ全景。フランシスコの実家は右手の山の麓。
ちなみに彼は左手に見える尖塔のそびえる教会で幼少時に洗礼を受けたそうです。
最終日、僕が発つ前にお母さんがスパゲティを作ってくれた。バジリコたっぷりでとっても美味しかった。
バジルはフランシスコの弟が育てたらしい。うまいぜ。
午後1時過ぎ、お母さんに「また来なさい」と見送られ、お父さんの車で駅へ向かう。
お父さんとフランシスコ兄弟にはわざわざ駅のホームまでお見送りいただいた。
お土産はお母さんからプレゼントされたナショジオの図鑑(イタリア語版)、イタリアの電車の切符、ムラーノグラスのプレート、カノヴァの作品ポストカード、そして白い石。
スコティッシュ・グリーン・マーブルの話をしたらフランシスコが「もっといいのやるよ」と言ってくれたのだった。
僕は別に石のコレクターではないけれど、もらっておくことにした。
バックパックに入れておこう。
19時10分離陸予定だったマンチェスター行きの飛行機が飛んだのは結局21時。またトラブルだ。
石と遅延で始まったイタリアの旅は、やっぱり石と遅延で終わった。
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