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ジャカルタ行ってきた。
去年までスマトラ島出身の男と暮らしていたけれど、社会人になってからもインドネシアとの縁は続くようだ。

記念すべき初入国はM8.5級の地震で迎えられた。
震源地が遠かったこともあってジャカルタ市内は平常運行だったけれど、地震の有無に関わらずこの街は常に危険で平和だ。

インドネシア人の自由奔放さにやられて仕事が思い通りに進まないので、コピ・ルアーク飲んで帰ってきた。




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今週は東京にて仕事を片付けた後、さっさと広島に帰ろうかと思っていたけれど予定変更。
特に急いで戻る理由もないので、チケットを書き換えて名古屋でピットインすることにした。

して、この週末は実家に帰省しているのである。

せっかく去年の夏に引っ張りだしてきたオーディオ(click)が見事に放置されているので広島まで持って行こうかと思ったけれど、解体し始めて10秒でやる気が失せた。
帰省の楽しみはとっておこう。





24 Hour Party People を観てしまった。





文学と造船と古寺の街、広島県・尾道市行ってきた。



この街も坂と猫が多い。



12月に入って早々に車を買ったので、別の日にちょっと転がしてみた。

牡蠣の季節が到来した。
一緒に行った友達によれば、冬になると牡蠣小屋と呼ばれる、えらく安い値段で新鮮な牡蠣が食べられる和製オイスターバーが海辺に店を構えるらしいので、鞆の浦まで車で行って船で仙酔島に渡った。

寒い掘っ立て小屋の中で炭火を囲んで牡蠣を焼く。

僕はタコをむさぼり食った。

貝類は苦手だ。





このところ写真をあまり撮っていなかったが、相変わらずマイペースに生きている。

8月に帰国し10月から社会人ごっこを始め、入社後しばらくは仕事で居を転々としていた。
そして10月下旬からは、類稀なる粉食文化を生み出した地に赴任を命ぜられ、ようやく腰を据えた。

赴任前は全ての排他的「混ぜ焼き派」は県境で駆逐され、残った者は「重ね焼き派」への改宗を強要されるのかと覚悟していた。
お好み焼を食べたいのに何故かウドンかソバかを選ばされ、マヨネーズをかける新古典主義すらも主張するのが憚られる恐ろしい地だと思っていた。

それらの懸念は赴任後7日で払拭された。
お好み焼きはもうどうでもいい。広島県福山市はラーメンがうまい。





俗に言う「寝耳にローゼズ」である。

2011年10月18日、そろそろ寝ようかと思っていた矢先にイングランドからとんでもない知らせが来た。

近年燻っていた噂(click)が現実となって、The Stone Rosesが15年ぶりのオリジナルメンバーでの再結成を発表。
2012年6月29、30日にマンチェスターでギグを行うことも同時に告知された。
10月21日にチケットが発売となったが予定の2日間と追加1日分の計22万枚強のチケットが62分でソールドアウトした。

再結成後1本目のライヴをこの目で見られないのは残念だが、復活する以上は期待したい。





連休中に兄貴が帰省してきたので、朝から二人で車を走らせた。
帰省する度に二人で出かけるのはここ数年、半ば恒例行事と化している。



着いた先は愛知県・新舞子。
中部地方のウインドサーフィンのメッカとして知られる。



さらに南にしばらく走って着いたのが愛知県常滑市。
焼き物の街で日本六古窯の一つとして知られる。
旧市街は至る所が焼き物で囲まれていて、その中に窯元やそれを利用したカフェが点在している。

新舞子、常滑ともになぜか共通して街に猫が多い。
雰囲気がゆったりしててどっちの街も大好きだ。





中秋の名月。

この角度だと、ごっつい兎が左側を向いて二足立ちの前傾姿勢で杵を両手で持ってるパントマイムしてるように見えるのは僕だけだろうか。

僕が小さいころからその存在だけは知っていた父親のレコードプレーヤー。今日ほぼ30年ぶりに音を鳴らした。
 
2日くらい前にオーディオセットを埃まみれの物置きから引っ張り出してきて自分の部屋でメンテをしながら組み直したが、残念ながらアンプがお陀仏で音が出なかったし、針が折れていたので諦めてスピーカーだけを自分のオーディオに繋いで使っていた。
 
ところが翌日、実家の奥深くに父親の弟がかつて使っていた別のセットがあるという話を聞いたので早速発掘作業に取り掛かった。
どうしてもレコードが聴きたかった。



が、肝心のターンテーブルが故障していた。一緒にあった保証書には昭和51年11月購入と書いてあった。無理もない。
でもここまで来たから別セットの方も全部分解クリーニングして自分の部屋に持ち込んでやった。
試行錯誤の結果、伯父のカートリッジと針を拝借、伯父のアンプに父親のターンテーブルを繋いで、そいつを伯父のスピーカーに通してやることによってレコードが聴けるようになった。
Elephant Stone (click) が流れた時に嬉しくて埃まみれのままベッドに頭から突っ込んだ。



でかいスピーカーを手に入れたと言ったら、音波が室内でX字になるように2つのスピーカーを配置してサウンドスポットを作れといそみ君に言われた。
今現在、僕の部屋には自分のものも含めて大小計6個のスピーカーがある。
 
ひょっとしてこいつらを内側に向けて正六角形に並べたら、その中心にスーパーサウンドスポットが生まれるんじゃないだろうか。
そんなもの発生させたら地球が滅びるかもしれない。
 
オーディオ知識ゼロの僕による見解だ。


光陰矢の如し。
4年間住んだマンチェスターを離れる日が来たようだ。
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